大神神社には摂社や末社が多数あります。境内や周辺はもちろん、桜井市から少し離れた奈良市内にも奈良市最古の神社である率川神社(いさがわじんじゃ)があり子守明神として有名です。
今日はその内、まず摂社の狭井神社(さいじんじゃ)を参拝しその後に三輪山に登拝します。
三輪山は神が鎮まる神体山なので、古来より禁足地として入山が厳しく制限されていました。しかし現在は、お参りとして真摯な気持ちで登るのであれば特別に入山を許可してもらえ登拝が可能です。
そしてその後は、智恵の神様の久延彦神社(くえひこじんじゃ)と元伊勢の檜原神社(ひばらじんじゃ)に参拝します。
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三輪山の登拝は観光やハイキングではありません。敬虔な気持ちでお参りしましょう。
これから狭井神社に参拝し、その後、三輪山に登拝します。
鳥居をくぐるとすぐ左手にあるのが、朱色の鳥居が鮮やかな末社の市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)です。
御祭神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、姉の天照大神と弟の素盞嗚大神が行った誓約(うけい)で生まれた宗像三女神の内の一柱です。安芸の宮島の厳島神社や先日に世界遺産登録で話題になった宗像大社の御祭神として有名です。
また、仏教の女神である七福神の弁財天(べんざいてん)と神仏習合しました。
手水舎です。
大神神社の拝殿前と同じく縄鳥居です。神々しい空気に満ち溢れています。
拝殿です。
狭井神社は、第11代垂仁天皇の時代の創建で、狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおみわあらみたまじんじゃ)が正式な名称です。
この名称で分かるように主祭神は、
大神荒魂神(おおみわあらみたまのかみ)
になります。本社の大神神社が大物主神の和魂(にぎみたま)を祀っているのに対し、狭井神社では荒魂(あらみたま)を祀っています。
荒魂は荒々しい力を持ち活動的な働きをする神霊です。狭井神社の大神荒魂神は身心に関して霊験あらたかで病気平癒の神様として信仰されています。
そして、配祠神は、
大物主神(おおものぬしのかみ)
姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
になります。
大物主神の奥さんが勢夜多々良姫命で生まれた娘が姫蹈鞴五十鈴姫命です。
事代主神は大国主神の息子です。
なお、姫蹈鞴五十鈴姫命は狭井川のほとりに住んでいて、そこに初代天皇である神武天皇がかよわれて皇后に迎えました。
国津神と天津神がつながったようで興味深いです。
薬井戸です。
飲めば病気が治ると言われるご神水(ごこうずい)が湧き出ています。ペットボトルなどを持参して汲むのもいいですし、ペットボトルに入ったのを社務所で販売もしています。
殺菌したコップも用意されているのでその場で飲むことも可能です。
神体山登拝申込受付所です。
入山受付は午前9時から午後2時まで。そして、午後4時までに下山しなければなりません。
なお、正月三が日(1/1・1/2・1/3)
及び、大祭等祭典日の、
(2/17・4/9・4/18・10/24・11/23)
※4/18は午前のみ
は登拝できません。
詳細はこちらで確認してください。
本日の神体山登拝受付所です。
登拝料300円を支払い、申込書に名前や携帯電話番号などを記入します。そして、「三輪山参拝証」のたすきを受け取り、初めての方は禁止事項などの説明を受けます。
手荷物がある方は、無料のコインロッカーがあります。(最初に100円必要で後で戻ってくる)
もし、いっぱいの場合は社務所で預かってくれるようです。
こちらから標高467メートルの三輪山に登っていきます。
往復で約2時間ぐらいかかります。
普通の体力の人なら2時間あれば十分だと思いますが、体力に自信の無い方は、午後4時の下山リミットに間に合うように午後2時の受付終了よりも早い目に登り始めるようにすればいいでしょう。
そして、三輪山に登拝する人は女性のほうが多いです。また、この日はゴールデンウィークとあってか小学生ぐらいの子供もたくさん登っていました。ですので、普通の体力の人なら女性も子供も問題ないと思います。
ちなみに、今回の私は登り40分、頂上で滞在5分、下り35分の計1時間20分でした。頂上以外休憩はとらずに黙々と登りましたので、割と早いほうだったとは思います。ただ下りは膝を痛めてる分、時間がかかりました。普通は登りより下りはもっと早くなるでしょう。
なお、竹製の杖ですが、登りはともかく下りはあったほうが膝への負担が少ないです。今回の私にしても、もし杖がなければ下りはさらに時間がかかったと思います。
そして、体力的な問題よりも気を付けていただきたいのは何よりもトイレです。この三輪山にはトイレはありません。狭井神社にはトイレはありますが、登って下る約2時間の間トイレにいくことができません。
ですので、食事をとるタイミングや飲み物を飲むタイミングなどを調節して、絶対にトイレに行きたくならないようにしてください。もし山中でトイレに行きたくなったら悲惨です。
あと、当日にも説明はありますが、写真撮影や水分補給以外での飲食は厳禁です。
それと、三輪山に何があるか。ですが、山の中で見たことはあまりしゃべらないほうがいいそうです。なのでここにはあえて書きません。その時の楽しみにしておいてください。
参考のために公式ホームページにはこう書かれています。
山中には神霊が鎮まる岩が点在し、磐座(いわくら)と呼ばれて信仰の対象となっています。神社の古い縁起書には頂上の磐座に大物主大神、中腹の磐座には大己貴神、麓の磐座には少彦名神が鎮まると記されています。
引用:三輪山
麓の磐座は、くすり道にある磐座神社で誰でも見ることができますが、中腹の磐座と頂上の磐座は三輪山に登拝したものだけしか見ることができません。
なお、言うまでもありませんが、三輪山の登拝は観光やハイキングではありません。敬虔な気持ちでお参りしましょう。
次は久延彦神社に向かいます。
狭井神社から久延彦神社へ行くには、大美和の杜展望台を経由するのが近道になります。展望台からの眺めも素晴らしいです。
なお、久延彦神社に行かない方であっても、展望台はぜひ行ってみてください。階段の数も今回数えてみると片道55段だったので、往復でそんなに時間はかならないです。
普通、展望台のようなものは高くなれば高くなるほど眺めは良くなりますよね。とはいってもエレベーターなどで上るのならともかく、階段を自力で上るのであれば、高くなって眺めが良くなるに比例してしんどさも増えていきます。
しかし、この大美和の杜展望台に関しては、あまり階段を上らないにも関わらず眺めが素晴らしいんですよ。
というのは、既に狭井神社のあたりで、高い位置まできているからなんです。
ゆるやかな上りなので気づいていない人が多いかもしれませんが、大神神社の二の鳥居から狭井神社にかけて、意外と登っているんです。
というわけで、階段を55段上って大美和の杜展望台に到着です。
左側に見えるのが大和三山の一つ、畝傍山で、真ん中から少し右の山が同じく大和三山の耳成山です。そして右側に大神神社の大鳥居(高さ32.2メートル)が見えます。
大和三山の残りの一つである香久山は、畝傍山よりさらに左側の手前側にあるんですが、この展望台からはもう一つよく見えにくいというか、わかりにくいと思います。
そもそも、香久山は畝傍山や耳成山と違って、どの位置から見てもあまり山らしくない山です。
そして、この展望台と畝傍山を結ぶ線の畝傍山寄りに藤原宮跡があります。飛鳥(明日香)はここからは見えません。
さらには、畝傍山と耳成山の奥に左から金剛山、葛城山、二上山が望めます。
ほんの50段たらず登っただけですが、奈良らしい素朴な展望が望めてお得感がありますね。
そして、この大美和の杜展望台は恋人の聖地にも選定されています。
しかし、どういう理由でこの場所が選ばれたのかもう一つよく分かりません。
聖地へGO! – 全国各地のラブパワースポットへ行ってみよう
大神神社・大美和の杜
展望台から少し下ったところに、「三輪さん俳句」投句箱がありました。
あなたの作った俳句をこちらから投句すると、年に二回選句が行われ、入選句は大神神社の講社崇敬会「三輪さん」に掲載されるそうです。
投句用紙はこの箱の引き出しに入っているそうなので、展望台からの眺めを見て思いついた俳句を投句してみてはいかがですか。
久延彦神社に到着しました。
大神神社の末社である久延彦神社(くえひこじんじゃ)の御祭神は、
久延毘古命(くえびこのみこと)です。
古事記にも登場し、世の中の事をすべて知っている知恵が優れた神様で、知恵・学問の神様として信仰されています。
よって今日では、学力向上、各種受験の合格、資格取得、技能上達、進学や就職などの成就にご利益があります。
境内には多くの絵馬が奉納されていました。
絵馬は神様に手紙を差し上げるつもりで書きましょう。
そして、祈願の絵馬だけでなく、御礼絵馬も後日に書きにくるようにしてくださいね。
社務所です。
先ほど参拝した狭井神社やこの後に行く予定の檜原神社もそうですが、この久延彦神社でも本社の大神神社とは別の御朱印が頂けます。
学業成就・知能向上や入学試験・資格試験合格など各種お札やお守りの案内です。合格祈願はち巻もありますね。
入学試験合格など各種祈祷を受け付けています。
拝殿横に安置されている知恵ふくろうです。
久延彦神社に参拝した後は、再度、狭井神社の前へ戻り、檜原神社へ向かいます。徒歩約20分です。
檜原神社に到着しました。
この20分間の写真はありませんが、三輪山の山麓を少し登り下りしながらの山道です。
そして、このまま前方の鳥居をくぐり中に入ってもいいんですが、できればその鳥居から入らずに手前を左に曲がり1~2分ぐるっと回り道して、正面の鳥居から入ることをオススメします。
檜原神社の正面の鳥居です。
大神神社や狭井神社の拝殿前の鳥居と同じく縄鳥居ですね。美しい。
境内です。玉砂利がきれいに敷きつめられています。
檜原神社は一度行かれると分かりますが、とにかく全てがシンプルなんですね。本殿も拝殿もなく鳥居があって手水舎があって三ツ鳥居があるだけなんです。(社務所はあります)
ごちゃごちゃしたところが一切ありません。
そして、シンプルだからこそとても美しく神々しいんです。
手水舎です。そっけないほどシンプルです。
境内を進み三ツ鳥居へ向かいます。
大神神社の摂社である檜原神社は元伊勢(もといせ)と呼ばれています。
第10代崇神天皇の時代まで、天皇の祖先神であり天の神である天照大神(あまてらすおおみかみ)と倭(やまと)の地主神とされる日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)の二柱の神様は皇居内で祀られていました。
いわゆる、同床共殿(どうしょうきょうでん)です。神と人が同じ屋根の下に住んでいたわけです。
そんな崇神天皇の時代、病気が蔓延しました。国土は荒れていきます。
天皇は天照大神や日本大国魂大神と同じ場所に住むことは恐れ多く穏やかではない。と思われて、二柱の神様を皇居の外に祀ることにしました。
そして、天照大神は皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託し、倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)で祀るようにしました。日本大国魂大神は同じく皇女の淳名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に託し市磯邑(大和郷)で祀るようにしました。
その、天照大神が祀られた倭笠縫邑の地がこの檜原神社がある場所になります。(諸説あり)
そしてその後、第11代垂仁天皇の皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神を祀るのにより理想的で相応しい場所を探すために長い旅に出ます。
ご鎮座地を求める旅は、現在の伊勢神宮の場所である五十鈴川のほとりに決まるまで続きます。
この旅の間に、一時的に天照大神が祀られたところは元伊勢と呼ばれ近畿地方を中心に伝承地が残っています。
なお、天照大神と同じく皇居を離れた日本大国魂大神は、その当時、淳名城入姫命の体がやせ細って祀ることができなかったという話もありますが、現在は大和神社(おおやまとじんじゃ)で祀られています。
本殿も拝殿もありませんが、三ツ鳥居が圧倒的な存在感を放っています。
天照大神と父神の伊弉諾命(いざなぎのみこと)、母神の伊弉冊命(いざなみのみこと)が祀られています。
豊鍬入姫命が祀られている豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)です。
昭和61年の創祀とあるのでまだ新しいですね。
社務所です。ここで御朱印がもらえます。
本殿も拝殿も無いのに社務所がある神社って、かなり珍しいでしょう。
鳥居からは二上山が見えます。
私は昼間しか来たことがないので見たことはありませんが、ここから見る夕日は最高に美しいみたいですね。
なお、春分の日や秋分の日の数日後、二上山の雄岳と雌岳の間に太陽が沈むようで、その日はプロアマ問わずカメラマンが押し寄せるそうです。
この後は、山の辺の道を北上し、石上神宮を目指します。
山の辺の道・南(1)桜井駅から海柘榴市を通り平等寺、大神神社へ
山の辺の道・南(2)大神神社は三輪山を御神体とする日本最古の神社です
山の辺の道・南(3)狭井神社から三輪山登拝、久延彦神社・檜原神社へ ←今ここです
山の辺の道・南(4)景行天皇陵・崇神天皇陵、長岳寺から石上神宮へ
山の辺の道・北(1)石上神宮は剣に宿る神霊を祀る奈良有数のパワースポット
山の辺の道・北(2)天理の街を抜け白河溜池(ダム)から弘仁寺へ
山の辺の道・北(3)円照寺から白毫寺、そしてゴールの奈良公園へ
山の辺の道・北(4)帯解駅から新薬師寺まで北コースの後半を歩く
山の辺の道・北(5)新薬師寺から春日大社へ!北コースの最後は観光客がいっぱい