2017年のゴールデンウィーク、5月3日に山の辺の道の南コースを歩きましたが、その2日後の5月5日に北コースを歩いてきました。
南コースもそうですが北コースも、北上するパターンと南下するパターンがあります。
私自身、北コースを歩くのは今回で3回目ですが、全て天理駅から石上神宮を経由し奈良公園へ向かう北上パターンです。
これは特に何か深い理由があるわけでなく、何となく最後のゴールが観光客が多くて賑やかな奈良公園の方が頑張れそうかな。というぐらいの理由です。北コースは見所が多い南コースと違って黙々と歩く時間が長いですからね。
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天理駅から商店街を抜けて山の辺の道の北コースを歩きます
山の辺の道の北コースを天理から奈良へ向かうには、天理駅が最寄り駅になります。なお、近鉄線とJR線の天理駅がありますが両駅は隣接しています。
駅を下車し駅前広場を抜けると天理本通商店街の入り口です。
商店街を東方向に歩いていきます。
天理市は、その名称が「天理教」に由来することでも分かるように、天理教関連施設が集中しています。宗教都市と言っていいでしょう。
天理市民の全てが天理教信者ではありませんが、とにかくいたるところで天理教のはっぴを着た人を見かけます。
私自身、天理市へは何度も来たことがあります。山の辺の道を歩く時もそうですが、それ以外でもあの有名な天理ラーメンは何回か食べに来ましたし、天理教施設がある場所を車で通過するだけなら数えきれないぐらいです。
なので、この一種独特な天理市の雰囲気には慣れていますが、初めての方だと、ここまで町中が天理教一色だということに、かなり驚かれるでしょうね。特に月次祭が行われる毎月26日前後は、いつも以上に多くの参拝者が訪れるようです。
全長約1kmの奈良県で一番長い商店街を抜けると天理教教会本部はすぐそこです。
天理教教会本部です。前方に見える巨大な建物は神殿です。天理教の信者だけでなく一般の人でも参拝できるそうですが、私は参拝したことはありません。
反対側には、これまた巨大な南門が見えます。
天理教教会本部を通り過ぎると、前方にたたなづく青垣が見えてきました。山の辺の道はあの青垣の山裾を縫うように桜井市から奈良市まで通じています。
石上神宮までは、天理教教会本部を通り過ぎたところから、東へまだ1kmも歩かなければなりません。
ですので天理駅から石上神宮までタクシー(約1300円)やバスで行かれる人もいるようです。ただ、バスは1日数便しかないようなのでタイミングが合う時しか使えません。
前方にファミリーマートが見えました。この交差点を右折します。
ファミリーマート大西天理東店です。
ここ以降、山の辺の道の北コースにコンビニはありません。飲み物の自動販売機も数える程度です。また、南コースだとそれなりにある飲食店も北コースには皆無です。
飲食物が必要な場合は、こちらで購入してください。なお、これらの情報は2017年5月5日現在です。
石上神宮(いそのかみじんぐう)に着きました。大鳥居をくぐり境内に入ります。
この大鳥居は1928年(昭和3年)の建立で、2011年(平成23年)に解体修理し再建立されました。
扁額には布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と書かれています。
参道です。大神神社や春日大社に比べると参拝者は少ないです。
石上神宮は神社好きには全国的に有名ですし、奈良有数のパワースポットとして知られていますが、一般的な知名度はあまりありません。
手水舎です。
この廻廊(かいろう)は1932年(昭和7年)に建てられました。
楼門(ろうもん)です。鎌倉時代末期、後醍醐天皇の時代の1318年に建てられました。以前は、上部に鐘をつるした「鐘楼門」でしたが、明治初めの神仏分離令によって取り外されました。
楼門の上部です。迫力がありますね。
楼門の扁額に書かれた萬古猶新(ばんこゆうしん)の字は、日本陸軍の父とも呼ばれた第3代内閣総理大臣の山縣有朋(やまがたありとも)の筆によるものです。
国内最古の拝殿で国宝に指定されています。1081年(永保元年)に第72代白河天皇が皇居・宮中にあった神嘉殿を寄進したものです。
石上神宮の御祭神は、主祭神として、
剣や宝に宿る神霊の、
- 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
- 布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
- 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
が祀られ、配祀神として、
- 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
- 五十瓊敷命(いにしきのみこと)
- 白河天皇(しらかわてんのう)
- 市川臣命(いちかわおみのみこと)
が祀られています。
拝殿を別方向から見ると奥に本殿が見えます。
本殿がある場所は、昔から建物はなく禁足地でした。そして、禁足地の地中に御神体の神剣が祀られていると言い伝えられていました。
明治7年、地中の調査をしたところ、言い伝え通り御神体の神剣を含む多数の玉類や剣・矛などが姿を現しました。
その後、明治43年から大正2年にかけてその御神体の神剣「韴霊」を安置する本殿が建てられ現在にいたります。
楼門を拝殿側から見た様子です。
楼門前の階段上から見た廻廊・楼門・拝殿・本殿です。石上神宮の素晴らしい建物を一堂に見ることができます。
廻廊を逆方向から見た様子です。
摂社の天神社(左)と七座社(右)です。
由緒看板によると、御祭神は、
天神社
- 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
- 神皇産霊神(かみむすびのかみ)
七座社
- 生産霊神(いくむすびのかみ)
- 足産霊神(たるむすびのかみ)
- 魂留産霊神(たまつめむすびのかみ)
- 大宮能売神(おおみやのめのかみ)
- 御膳都神(みけつかみ)
- 辞代主神(ことしろぬしのかみ)
- 大直日神(おおなおびのかみ)
になります。
摂社の出雲建雄神社(左)と見えにくいですが猿田彦神社(右)です。
由緒看板によると、出雲建雄神社の御祭神は、
出雲建雄神(いずもたけおのかみ)で、
由緒看板はありませんが猿田彦神社の御祭神は、主祭神として、
- 猿田彦神(さるたひこのかみ)
が祀られ、配祀神として、
- 底筒男神(そこつつのおのかみ)
- 中筒男神(なかつつのおのかみ)
- 上筒男神(うわつつのおのかみ)
- 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
- 高靇神(たかおかみのかみ)
が祀られています。
摂社の出雲建雄神社の拝殿です。
この拝殿は国宝に指定されています。
なお、石上神宮の国宝は、この摂社拝殿と廻廊内の本社拝殿。そして、古代の鉄剣の七支刀(しちしとう)です。
撫牛です。
鏡池の横にある休憩所です。
休憩所の横にはニワトリのエサが置かれていています。
石上神宮の境内には、神様のお使いとされる約30羽のニワトリが放し飼いにされています。
白と黒の烏骨鶏(うこっけい)ですね。
他には、東天紅(とうてんこう)や小国(しょうこく)、レグホン、ミノルカなどがいるようです。
石上神宮の参拝が終わり、これから奈良市内に向かって山の辺の道の北コースを歩いていきます。
石上神宮は山の辺の道の北と南の分岐点になります。
山の辺の道・南(1)桜井駅から海柘榴市を通り平等寺、大神神社へ
山の辺の道・南(2)大神神社は三輪山を御神体とする日本最古の神社です
山の辺の道・南(3)狭井神社から三輪山登拝、久延彦神社・檜原神社へ
山の辺の道・南(4)景行天皇陵・崇神天皇陵、長岳寺から石上神宮へ
山の辺の道・北(1)石上神宮は剣に宿る神霊を祀る奈良有数のパワースポット ←今ここです
山の辺の道・北(2)天理の街を抜け白河溜池(ダム)から弘仁寺へ
山の辺の道・北(3)円照寺から白毫寺、そしてゴールの奈良公園へ
山の辺の道・北(4)帯解駅から新薬師寺まで北コースの後半を歩く
山の辺の道・北(5)新薬師寺から春日大社へ!北コースの最後は観光客がいっぱい