日本に生息する桜は、固有種と交配種を合わせて600種類以上の品種が確認されています。
そして、その中で最も人気があるのはソメイヨシノ(染井吉野)で間違いないでしょう。現在、日本の桜の約80パーセントはソメイヨシノだと言われています。
しかし、このソメイヨシノは古来よりある桜ではないんですね。江戸時代の末期に交配で誕生した新たな園芸品種なんです。
本格的に普及したのは明治時代の中頃からで、全国各地の公園や河川敷、学校などに植えられました。
そんな、ソメイヨシノ。名前に「ヨシノ」とありますが奈良県の「吉野」とは何か関係があるのでしょうか?
そこで、ソメイヨシノの起源や由来を色々と調べてみました。
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奈良の吉野の桜はシロヤマザクラです
奈良県にある吉野山は、古来から桜の名所であり、約3万本もの多くの桜が山全体に植えられています。そして、その桜は山の裾野から山上にかけて順々に咲いていくんですね。
吉野の桜は、その圧倒的な多さから、一目で千本見れる豪華さということで「一目千本」と言われます。
かつて豊臣秀吉が、徳川家康や伊達政宗など5000人を引き連れて大花見をしたことでも有名です。
そんな吉野山には、約200種類の桜がありますが、その大多数は山桜のシロヤマザクラなんです。ソメイヨシノもありますが少しです。
これが吉野山のシロヤマザクラです。ソメイヨシノが花が散ってから葉が開くのに対し、シロヤマザクラは花と同時に赤褐色の若葉も開くのが特徴です。
しかし、花の真下では葉の色が見えますが、遠くから見ると、花の淡いピンク色と葉の赤褐色が混ざり合って、とても幽玄な色合いになるんですね。
こんな感じです。
夢か現(うつつ)か幻か
霞(かすみ)に浮かぶ
山桜花
これが、一目千本と言われる吉野の桜です。
では、ソメイヨシノはどのようにして生まれたのでしょうか?
ソメイヨシノノ起源や由来には諸説あります。
その中で定説となっているのは、ソメイヨシノは江戸時代に、現在の東京都豊島区近辺にあった「染井村(そめいむら)」の植木職人が作ったという説です。
伊豆諸島や伊豆半島に自生するオオシマザクラ(大島桜)という桜があります。
この桜です。先ほどの吉野山のシロヤマザクラと似ているのが分かりますか。
そうです。どちらも、花と一緒に葉が開きます。
次に、この桜を見てください。
福島県の三春町にある三春滝桜(みはるたきざくら)です。樹齢1000年を超えていると言われます。
山高神代桜(山梨県)や根尾谷の淡墨桜(岐阜県)と共に日本三大桜の一つと数えられます。
先ほどのシロヤマザクラやオオシマザクラと違って、この三春滝桜は花が散ってから葉が開きます。そうです。ソメイヨシノと同じなんです。
この三春滝桜は、野生種である江戸彼岸桜(エドヒガンザクラ)の園芸品種である紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)です。
そして、野生種であるオオシマザクラとエドヒガンザクラは、とても丈夫なんですね。
伊豆大島にある大島のサクラ株は樹齢800年と言われますし、エドヒガンザクラ系の枝垂桜では三春滝桜が樹齢1000年です。そして、山高神代ザクラにいたっては何と樹齢2000年とも言われているようです。
オオシマザクラ (大島桜) |
花と同時に葉が開く丈夫な桜 |
エドヒガンザクラ (江戸彼岸桜) |
花が散ってから葉が開く丈夫な桜 |
ソメイヨシノは、江戸時代に染井村の植木職人が、この二つの桜を交配して作られた桜なんです。
そして、出来上がったソメイヨシノは、花が散ってから葉が開くタイプの桜になりました。
なお、説によれば、大島桜と山桜を交配してできた桜と、江戸彼岸桜をさらに交配した桜である。という可能性もあるそうです。
そうして作られたソメイヨシノですが、当初は「吉野桜」として売り出されたんですね。
基本的に吉野とは全然関係ないんですが、吉野の桜は全国的に有名なのでその名にあやかったんでしょう。
まぁ現代でも、讃岐うどんの丸亀製麺は丸亀市に店舗はありませんし、昨年上場した串カツ田中は「大阪市西成区の味」としていますが、大阪市西成区に店舗はありません。そもそも大阪にほとんど店舗が無いですからね。
こんなことは、今も昔も変わりません。
という訳で、吉野桜として売り出された新種の桜ですが、後日、本家の吉野の桜と混同されるということで、染井村の「染井」を頭につけて「染井吉野」としたようです。
最後に
日本で大人気のソメイヨシノですが、何やら60年寿命説があるそうです。
もしこれが本当なら、戦後に植えられたソメイヨシノは次々と寿命を迎えることになります。
しかし、今のところそんな兆候はあまり見られないようですし、きちんと手入れして管理すれば寿命はさらに延びるという説もあるようなので、取り敢えず一安心です。